日本の木製窓
北欧窓と国産窓メーカーとのかかわり
国産メーカーの多くは、ドイツ窓という分類はしても北欧窓という分類はあまり認識をしていないようにおもえる。ドイツ窓以外は単なる外開き窓という範疇にいれている。それはメーカーのほとんどがデンマーク製の金具をつかって、この国のもっともポピュラーな断面形状の窓を製造しているからだ。
もちろんデンマーク窓にも回転する窓はあるのだがそれほど出荷量は多くない。しかし北欧窓というカテゴリーはまだ認知度はうすいが、北欧系の住宅メーカーがスエーデン製の回転窓を「売り」にしている今日、遅かれ早かれこの窓の制作に着手していく必要があるように思える、そして、しかも国産材で安価に供給されるようになったとき、はじめて国産窓メーカーが外国製をこえたことになるのだと思う。
TWO 木製窓研究会のその後の歩み
自然発生的に発足した会だったので明確な目標もなく、会合の日にちの設定もほとんど不定期だった、ただ、みんなの共通の希望は高質な住宅の普及であり、そのために各自がそれぞれの立場で活動しよう、というものであった。
野本氏と吉村氏はよく北海道へ出かけていた、野本氏はロト社の天窓、吉村氏は換気システムの普及、南氏は得意の文筆力をいかして住宅評論家として活躍されておられるのはいうまでもない。
窓メーカーも、先進国に追いつくべく技術開発に、新商品の開発に、と余念がなかった。
当社に限って言うと、1990年後半からは複合木製窓の開発、2000年代には複合のカーテン、ウオールを手掛け、その後は再び北欧窓へとすすんでいった。
それは、デンマーク窓からスエーデン窓へのシフトだった。
北欧の木製窓
私は、以前、北欧についてその定義らしきものについて書いたことがあったが、それはあくまでも窓の制作にかかわるものとしての見方からであって、たとえば,経済社会から見た北欧、気候風土による分類、あるいはまた観光ガイドブックによる区分けなど、それはときどきに三カ国だったり、四か国だったりする、、、が窓に関していうと、デンマークの窓とノルウェー、スエーデンの窓は明らかに違うのである。
そうすると、窓屋の分類では北欧はフィンランド、ノルウェー、スエーデンの三カ国ということになる。
北欧窓の普及にかかわった人々
25年以上も前から、北欧から木製窓を輸入販売していた会社が何社かあった。住宅まるごと輸入というのもあったが窓、ドアが中心の商社の中で著名なのはガデりウス社、とNPKジャパン社、とくにNPKジャパン社は今、北欧住宅に欠かせない回転窓の初期モデルの販売商社だった。
一方,ガデリウス社はミレシェ、フェンスター社の横吊りタイプの窓が中心だったが現在は同じ回転窓に切り替えている、したがって今日日本で普及している北欧窓はほとんどスエーデン製の横軸回転窓ということになる。
国産窓メーカー共通して持っているアイテムがドイツ窓、つまり、ドイツを代表するドレー.キップとへーべ.シーべで、この二つの窓を作れることが、木製窓メーカーとして業界に参入する一つのステップといってよい。
しかし、ドイツの住宅の採用率が90%をこえるドレー.キップだが日本ではその採用率は低い。それでありながら、いわゆる、「木製サッシ」の代表選手はなぜか「ドイツ窓」なのである。
この、ドイツ窓の普及に最も貢献したのが前出の野本氏であるが残念ながら昨年還暦そこそこで他界されている。
確たる調査データーはないが、日本国内で、製造設備を持ってオーダーに答えてくれる木製窓メーカーは十数社、そのうち本州では十社程度と思われる。
経営規模はほとんど従業員10から15人ほどの小さな会社である。営業経歴は10年から25年でそれほど歴史のある業種でもないが、最も長いところは四半世紀を超えている。一からスタートした会社もあるがたいていは木工関連からの参入が多い。
製造品目は、引戸、外開き窓、内開き窓、ドア、カーテン,ウオール等、外国の木製窓メーカーに比べて非常に多品種に及ぶ.殆どのメーカーは注文生産で、北欧や北アメリカのメーカーのように規格品を大量生産しているところはない。これは、日本の木製窓の業界の大きな特徴であり、ますますすその傾向が強くなってきている。
木製窓業界の歩み
現在、木製の窓のことを、木製サッシと呼んで、ほとんどこの呼称が、日本の建築業界に定着したといっていい、しかし、日本の窓メーカーが産声をあげた頃、四半世紀前には木製サッシという言葉は使われていなかった。ごく少数の関係者が使っていたのは、木製窓、あるいは、ドイツ窓、という言葉だった、そうして、この目新しい商品にいち早く目をつけて普及活動を進めていたのが、高橋硝子(株)の野本氏、シュレーゲル(株)の吉村氏そして関東仮設機材(株)の南雄三氏の三人である。
木製窓研究会.TWOの発足
前出の三人に福井セーレンの大谷氏、富山の(株)メーカーの下条氏、それに私が加わり、木製窓研究会なるものを発足させた。
この会はずいぶんと気楽な会で,会則もなければ、会費の徴収もなく、会長すらいなかったのである。会合は不定期開催だったが、たいては北陸開催で、あるときは越前海岸のカニ料理旅館で越前ガニを食しながら、ということもあった。
町の商工会の建設部会の研修旅行で、名古屋市の豊田記念館に行きました。当時はまだアルミサッシがなかったので、木製の窓ということだったろうと思います。昭和初期の洋風建築の多くに上げ下げ窓が使われていて、現在でも補修されながら各地で現存しています。
最近の建築の窓の納まり位置が、外壁の外面と同いつなのに対して、此のころの納まり位置はずいぶん中に入っています。私は個人的にはこういう納まりのほうが好みですが、建設費用は余計に掛かるような気がします。
近くにある,豊田佐吉邸には引違窓が入っていてきれいに納まっていました.このころの建具職人さんも石やレンガとのとりあいにずいぶん苦労があったのではないでしょうか。
ヨーロッパの木製窓メーカーが規格化、単一商品、大量
生産型であるのに対して、日本のメーカーは、多品種少
量生産型です。つまり、個別のお客さんに対しての特注
対応ということです。現在国内で活動中のメーカー,約
十社のほとんどは最低でも7~8品種のタイプのアイテム
を持ち、使用する木材種も柔軟に対応できるはずです。
このことは、国産メーカーとして大変大事なことで企業
継続のキーポイントでもあります。7,8年前までは国産
メーカーの信頼度には多少の問題がありましたが最近
は技術的に輸入品をしのいでいると思います。
一部の輸入品は別としてたいていは製品の仕上がり状態においても国産製品に軍配があがるようです。価格も以前は国産
は高いといわれていましたが、ローコストタイプも開発対応しているメーカーもあるので問い合わせされることをお勧めします。
以上も前でほとんどヨーロッパからの輸入品と思われ
ます。当社で木製窓の製造をはじめて数年ほどしてか
ら、お二人の年輩の設計士さんが東京からこられて
「こんなところでドレー、キップ作っているなんてビックリ
だよなー」と言われたことをおぼえています。その方た
ちの話によると現役の頃はよくドイツから輸入したとの
ことでした。また1990年頃、晴海のグッドリビングショ
ーに出展したときにはすでに近くのブースに北欧窓
の輸入展示がされていたので此のころから急速に
普及し始めたものと思います。1990年当時は国産メ
-カーも三、四社しかなく、当社の年間売り上げも現在の十分の一ほどでした。その後メーカーも増え続け、現在は本州
でも十社ほどになっつています。その間、全国木製サッシ工業会が設立されさらには今年より任意団体から一般社団
法人として新しくスタートをきっています。